「パリ国立ピカソ美術館」見どころポイント3つと現地レポート

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hotel Sale's exterior in Paris

歴史的な建物が立ち並び、芸術的でお洒落な街マレ地区の中心に位置するパリ国立ピカソ美術館は、数あるパリの美術館の中でも必見です。

近代美術というと少し理解に難しいイメージがありますが、ピカソの歩んだ人生やエピソードを知ることで、易しく、より面白く探索することができますので見どころポイント3つをまとめました。

目次

パリ国立ピカソ美術館(Musée national Picasso-Paris)

パブロ・ピカソは1881年にスペインの港町マラガで、芸術家で美術教師だった父ホセと母マリアの間に生まれました。フランスで活躍した20世紀最大と言われる画家であり、芸術家です。

ピカソはその溢れる才能から膨大な作品を生み出しました。美術館には本人と遺族から相続税代わりに国に寄贈された作品をベースに、絵画、彫刻、デッサン、陶器、版画など5000点余りを収蔵しています。

ピカソのキャリアを代表する膨大なコレクションは、17世紀の歴史的建造物である、邸宅「オテル・サレ」を改装して収められ、パリ国立ピカソ美術館となりました。

1985年にオープンしましたが、その後5年の歳月をかけ大規模な改装工事がなされ2014年に再オープンしました。

2021年、ピカソの長女であるマヤ本人から9点の傑作(絵画6点、彫刻2点、スケッチブック1点)が寄贈され、その記念としてそれらすべてと、ゆかりの絵画が特別公開されています。

フランス政府はピカソが亡くなる少し前に相続税を物納できるよう法改正し、芸術大国として美術品の国外流出を避けるための施策を講じたと言われています。

所在地

5 rue de Thorigny, 75003 Paris
TEL: 01 85 56 00 36

営業時間


火曜日〜金曜日までは9:30〜18:00まで営業

土・日・祝日(月曜日を除く)の開館時間は、午前9時30分から午後6時まで営業。

最終入場は17:15迄となります。

入館料

大人(18歳以上)14€ (割引料金11€)

ファミリー割引もありました。子供1人同伴している大人2人のうち1人は11€の割引料金になります。子供はそもそも無料ですのでパリの美術館は優しいですね。

公式WEBサイトから予約することも出来ますが1€の手数料がかかります。窓口で購入ですと1€はかかりません。

ただ、混み合っている時期は事前に公式サイトから予約してチケットを購入しておくのが安心かもしれません。

パリ国立ピカソ美術館公式サイト

【参考】パリミュージアムパスはお得?

パリミュージアムパスを購入するとパリにある50以上の博物館や施設を利用できます。

オンラインでEチケットを事前購入するか、対象の美術館などの施設窓口で直接買うことができます。また、空港などのツーリズムインフォメーションやパリ市内のビジターズビューローでも購入できます。

(日本語のサイトですと価格も高く配送料がかかります。)

パリミュージアムパス公式サイト

芸術の都パリに芸術を見に行く気が満々な方は買っておくとお得かと思います。

ただ、主な美術館の入館料の価格帯は11€〜14€くらいで、高いルーブル美術館でも17€(2022年9月現在)です。

(ルーブル美術館は初めてですと見てまわるのに半日から全日は欲しいところです。)

単純計算で例えば2日間パスで4ヶ所以上まわれるならお得な可能性があります。※4日間、6日間と期間が長くなるほどにお得になります。

自身が行きたい場所の数と所要時間を考えて入場料を計算して購入すると良いでしょう。(パリは諸事情で交通がストップしたり、人気の観光地は混み合いますので時間にはゆとりを持っての行動がおすすめです。)

パリミュージアム・パス 有効期間金額
2日間(48時間)52€
4日間(96時間)66€
6日間(144時間)78€
2022年9月現在

アクセス

【メトロを利用する場合】

メトロ⑧Saint-Sébastien–Froissart 下車 徒歩7分

メトロ①Saint-Paul(Le Marais)下車 徒歩11分

【バスを利用する場合】

・バス停往路は29番の「Payenne」で下車徒歩4分、復路はバスが一方通行で一筋違いで同じバス停に停車しませんので「Rue Vieille du Temple」と「Turenne Saint -Gilles」のバス停を利用すると便利です。

いずれもバス停より徒歩3分です。

・左岸(セーヌ川の南側)から向かう場合ですと96番で「Saint-Claude」(徒歩3分)も最寄りで便利かと思います。

※パリでの移動は、パリ交通公団(RATP)公式アプリをインストールしておくと、とても便利です。

詳しい利用方法を、この記事のおすすめ③「ボンジュールRATP(Bonjour RATP)」でまとめてあります。

参考記事:

このピカソ美術館から徒歩1分、美味しいゴーフルの買えるお店「Meert(メール)」の記事はこちらです。

参考記事:

the bus station'Turenne Saint-Gilles

これだけ知っておけばピカソ美術館が楽しめる?!3つのポイント

事前に読んでおくだけでピカソ美術館を楽しめる3つのポイントをまとめました。

ポイント(1)オテル・サレの歴史・見どころ

「オテル・サレ」は1656年〜1659年にかけて、塩の税金の徴収により富を成したピエール・オーベール・フォントネーにより建てられたので「オテル・サレ」(塩の館)と呼ばれました。見どころは中庭をふくめその建物の美しさです。

さらに美術館のために特別にデザインされた家具は20世紀にパリで活躍したディエゴ・ジャコメッティ(スイス1902-1985)によるものです。

豪華な内部の装飾、大階段や柱のレリーフ、シャンデリアなどの装飾品や家具にも注目です。

展示会場は地下1階から4階までで、その膨大なコレクションの中からシーズンごとに展示会や、様々なアーティストによるイベントや舞台芸術などが披露されています。

the blue sky and l' Hotel Sale in Paris

ポイント(2)作品が創られた時代背景

ピカソの作品は生涯にわたってその作風が変化し続け、時代ごとに区切って名前が付けられています。それぞれの時代における風潮や、人生のイベントが作品に大きく影響していきます。

1897年:初期:・・・ピカソ10代。宗教画や歴史画を模写して基礎を身につけ、若干16歳でマドリードの国立美術展で佳作を受賞。画家の父の教えによる正しく美しい写実の作画がのこされています。

1901年〜1904年:「青の時代」パリに移住。親友が自殺したことで作品は陰鬱な青が多く、題材にも貧困層などの社会的弱者を多くとり上げています。・・・ピカソ20歳〜23歳

1904年〜1906年:「ばら色の時代」モデルだったフェルナンド・オリビエとの交際を通して、ピカソの心に安定と平安が訪れます。サーカスの家族や曲芸師なども多く描いています。それまでの暗い青色は次第に影を潜め、明るいピンクやオレンジなど暖かな暖色が使われるようになりました。・・・ピカソ23〜25歳

1907年〜1909年:「アフリカ彫刻の時代」アフリカ彫刻や古代イベリア彫刻に強く影響を受けます。この時代ピカソの代表作となった「アヴィニョンの娘たち」は後の時代のキュビズムへの原点と言われます。・・ピカソ26歳〜28歳

1909年〜1919年:「キュビスムの時代」「キュビスム」とはピカソがジョルジュ・ブラックと共に確立した新たな美術表現。一つの対象を単一の視点で描くのではなく、色んな視点から見たイメージを分解し、また一つにつなぎ合わせて点や線を再構成することで表現しようとしました。抽象画(存在しないものを描いた芸術)への道が開かれました。・・・ピカソ28歳〜38歳

1917年〜1925年:「新古典主義の時代」

1917年、ピカソはロシア・バレエ団の舞台衣装をデザインするためにローマを訪れました。そして古代ローマやルネサンスの古典様式に感銘を受けます。またそのバレエ団ダンサーのオルガ・コクローヴァと結婚し、「私を描く時は私とわかるように描くこと」と言われたため、「新古典主義」と言われる画法に回帰していきます。・・・ピカソ36歳〜44歳

1925年〜1936年:「シュルレアリスムの時代」

シュルとは英語のスーパー=「超」、レアリスムは現実主義ということで超現実主義と訳されます。シュルレアリスムとは、当時フランスで起こっていた芸術運動で、人間の無意識や夢の世界を表現する「超現実主義派」のことです。1925年頃になると、妻オルガとの不仲による精神的不安定さが表れているとも言われるように、ピカソの作品に描かれた人物からは写実性が無くなり、原型からかけ離れたものになります。1929の世界恐慌も精神状態に強く影響したと思われます。ピカソ44歳〜55歳

1937年:「ゲルニカ」(マドリード レイナ・ソフィア美術センター)は代表作でこの年、ピカソは集大成をむかえたと言えるでしょう。内戦状態にあったスペインで田舎町ゲルニカが反政府側を支援したナチス軍による史上初の都市無差別空爆を受け、その様子を題材にしています。同じ年「泣く女」も制作。・・・ピカソ56歳

1947年〜1953年: 戦後はフランス南東部ヴァロリスで陶芸家としても多くの作品をのこしています。・・・ピカソ66歳〜72歳

1954年〜1973年:晩年ジャクリーヌと晩年を過ごし「画家とモデル」をはじめ多くの作品をのこしました。ムージャヤン(フランス南東部、カンヌ北郊の町)のノートル・ダム・ド・ヴィの別荘で91歳で亡くなる直前まで創作に没頭しました。・・・ピカソ73歳〜91歳

ポイント(3)ピカソの私生活(女性遍歴)

ピカソの女性遍歴ですが、ある意味芸能人の不倫よりすごい・・・。

女性との出会いと別れを繰り返すことによりその作風にも変化があらわれます。

ピカソの作品を語るのにその女性関係は切り離せないものとなっています。

最初の恋人はフェルナンド・オリヴィエ、まだ絵が売れず貧しい生活をしていた頃です。

この出会いにより画風は暗い青の時代から色のあるバラの時代へ移り変わるきっかけになります。フェルナンドの友人エヴァ・グエルに手を出して二人の関係は7年で終わりを告げました。

ピカソはエヴァをキュビズムといわれる抽象画の手法で描いています。その後エヴァは病気で亡くなります。

ピカソのサーカスを描いた油絵

ピカソが36歳の時、ローマで舞台衣装のデザインの仕事をしていた時にロシア貴族の血を引くバレエダンサー、オルガ・コクローヴァと出会い結婚に至ります。息子のパウロをもうけますが9年経ち結婚生活は破綻していました。

45歳のピカソは17歳のマリー・テレーズを愛人にして、その後マヤが生まれます。これをきっかけにオルガは出ていきますが彼女は生涯離婚を拒みました。

マヤが生まれた頃からピカソはドラ・マールと付き合うようになり、61歳のピカソは40歳年下のフランソワーズ・ジローとも付き合い、2人の子供をもうけます。ドラ・マールは「ゲルニカ」と同年に描かれた「泣く女」のモデルで、ピカソとの別れの後は精神病院に入院しています。

フランソワーズはピカソの女性関係に嫌気がさし、2人の子供を連れて出ていきます。

その後ピカソは2人目で最後の妻、45歳年下のジャクリーヌ・ロックと出会い、南フランスの城に移り住みます。

最初の妻オルガが亡くなった後に結婚。91歳、肺水腫によりその生涯を閉じました。

マリー・テレーズとジャクリーヌはピカソの死後、後を追うように自殺しています。

遺書をのこさなかったピカソの死後は親族の間でその莫大な遺産争いが勃発し、収拾までの費用はなんと30億円以上にのぼったそうです。

現地レポート

パリのマレ地区は由緒ある美しい建物が立ち並ぶエリアですがその中でもひときわ大きく壮麗な外観なのが国立ピカソ美術館です。

マレ地区の国立ピカソ美術館の外観

門前に職員の人達がいましたがとってもフレンドリーに挨拶してくれました。コロナ渦では観光客も少なく、寂しい状況だったでしょうから、心から歓迎されているという感じが伝わってきました。

パリ国立ピカソ美術館の城門

お天気が良く建物が青い空に映えています。

パリ国立ピカソ美術館のコートヤード

混んではいなかったのですぐに入場できました。

パリ国立ピカソ美術館の入口 玄関

エントランスホールに入ると突き当りにチケットカウンターがあります。

ピカソ美術館のチケットカウンター

オーディオガイドは5€。フランス語、英語、スペイン語、ドイツ語、中国語になります。

お子様用はフランス語と英語対応。残念ながら日本語はありません。

オーディオガイドの案内看板

プログラムと入館チケットです。

パンフレットと入場券の半券

書店・お土産

お土産物の書店ではパリ国立ピカソ美術館のコレクションから絵葉書、ノート、マグネット、しおり、文房具などの幅広いお土産が並んでいます。

可愛いトートバッグは20€。

約 130 タイトルもの文献も提供しています。ピカソの絵画とスケッチのカタログ (33 巻) など、貴重な作品もあります。

水色とクリーム色の壁で統一されたブックショップの全体像

建物内観

建物の内観も、必見です。大階段は芸術的で繊細で息を呑むほどです。

劇場のように美しいバルコニーはインペリアルスタイル。スタッコ装飾と呼ばれる石灰に大理石粉や粘土などを混ぜた化粧漆喰に豪華な彫刻が施されています。

ホールの美しい彫刻が施された格天井

フィレンツェのローレンシア図書館にあるミケランジェロの階段のデザインをもとに作られているそう。

2022年4月16日から2022 年12月31日まではピカソが長女マヤを描いた芸術品が 2 つのフロアで展示中です。

「La Dation Maya Ruiz-Picasso」

1階ではマヤ・ルイス・ピカソが寄贈した品が展示されています。

「Maya Ruiz-Picasso, daughter of Pablo」

2階にはピカソが描いた娘マヤ・ルイス・ピカソの絵が沢山展示されています。

マヤ・ルイス・ピカソ パブロの娘の看板

入場してからすぐの部屋です。初期の頃の作品が展示されています。

ジャコメッティのシャンデリアが真っ白な壁に映えています。

ピカソ美術館の一階フロア

ピカソが13歳の時に画家だった父を描いた作品「José Ruiz Blasco, père de l’artiste」(芸術家の父、ホセ・ルイス・ブラスコ)

ピカソの父親はこの才能を目の当たりにして絵を描くのをやめてしまったという逸話があります。

2021年にマヤさんから寄贈された物の中で一番古くに描かれたもの。ピカソは最後までこの絵を手放さなかったそう。

「L’Homme à la casquette」(帽子を被った男性)

これも1895年13歳の時の作品。

油絵「L'Homme à la casquette」(帽子を被った男性)

ピカソの父、ホセによる作品「Paloma」(鳩)

ピカソの父、ホセによる油彩、鳩

「La Flûte de Pan」1923年(パンフルート)

La Flûte de Pan

「女性の頭」

「肘掛け椅子に座っている女性」

「女性の頭」1939年

ピカソの油彩、女性の頭

スケッチ類も沢山のこされています。

ガラスケースに並んだパブロ・ピカソのスケッチブック

上段左から:

「Buste d’homme au chapeau」1972年(帽子を被った男の胸像)

「Tête d’homme」1971年(男の頭部)

※「男の頭部」はマヤさんから相続税として寄贈されたものの中では一番新しく、ピカソが亡くなる2年前の作品。

「Jeune fille assise」1970年(座っている女の子)

「Le Jeune Peintre」1972年(若い画家)

下段左から:

「Vieil homme assis」1970年(座っている老人)

「La Famille」1970年(家族)

「Maternité」1971年(出産)

「Le Vieil Homme」1970年(老人)

親族から譲渡された8枚のピカソの油絵

マヤの愛称を持つマリアは、パブロ ピカソとマリー テレーズの長女として 1935年9月5日に生まれました。

マヤの誕生は、ピカソの人生に激動をもたらしました。

マヤの幼少期の映画フィルム

ピカソはマヤを描いた作品を沢山遺しています。

ピカソによる沢山のマヤの油絵

「Maya à la poupée」1938年(人形を抱くマヤ)

「Maya au cheval et à la poupée」(馬のおもちゃと人形を持ったマヤ)

人形を抱いたマヤの油彩

マヤさんに対する強く、深い愛情を感じます。

マリー・テレーズとの間にこのマヤが生まれたことがきっかけで正妻だったオルガは南フランスに移住、ピカソと別居します。女性としては少し複雑な気分です。

下の左の絵は「maternité」、出産や母、母性を意味するフランス語です。

マリー・テレーズとマヤの油絵

「Enfant sur une chaise」1939年(椅子の上の子供)

椅子に座ったマヤ

「Reclining Nude With Sun」1932年(横たわる裸婦)

油絵 Reclining Nude With Sun

ピカソの詩やモノグラム、花器の絵などが展示されています。(ピカソは南仏のヴァロリスに移り住んでいた頃、沢山の陶器を創作しています。)

ピカソの詩やモノグラム、花器の絵
マヤの小さなブーツ

窓からはピカソ美術館裏、オテル・サレのレオノール・フィニ庭園を見下ろせます。

ベンチでくつろぐ人たちもいます。

オテル・サレの窓から見えるレオノール・フィニ庭園

3・4階にはカメラの前でのピカソの姿を中心にアートフィルムやドキュメンタリー、レポート、彼の人生と作品の様々な側面を展示してあります。ピカソは劇場美術やコスチュームデザインなどの仕事もしていました。

3階では1930年代に制作されたアマチュア映画や1950年代初頭に制作された彼が仕事をしている様子を映したドキュメンタリー作品が展示されています。

4階には1955年から1961年のカンヌでのスタジオが再現されていて、その時代を体験することが出来ます。

ピカソが写ったドキュメンタリー映画フィルム

3階から2階のテラスを見下ろした写真です。

3階から見下ろしたコートヤード

「Le Baiser」 1925年(キス)

ピカソの油絵 Le Baiser

「Buste,Coupe et palette」1932年

胸とクープ(果物皿)とパレットを描いた静物画。

ピカソの油絵 Buste,Coupe et palette

「Femme assise devant la fenêtre」1937年(窓の前に座っている女性)

マリー・テレーズを描いたものです。

Pablo Picasso, Femme assise devant la fenêtre

ピカソは著名な彫刻家でもありました。彼は彫刻をとても愛していたのでそのほとんどを生涯にわたって保管していました。

「女性の頭」1931年

ピカソの彫刻、女性の頭

「L’Orateur」ロラテール(話し手)

パブロ・ピカソの彫刻 L'Orateur
美術館内のプロジェクター

「Jacqueline aux mains croisées」1954年(手を組み合わせるジャクリーヌの肖像)

ジャクリーヌ・ロック(1927-1986)はパブロ・ピカソの二番目の妻。ピカソが80歳頃に結婚し、死去する91歳の11年間付き添いました。ピカソはジャクリーヌの作品をこれまでのどの愛人よりも多い400作品以上制作しています。

ピカソ油彩、Jacqueline aux mains croisées

「La dormeurse 」1955(眠っている人)

ピカソ La dormeurse

「Nature morte à la tête de taureau」1958(ブルの頭の静物画)

‘Nature morte’とは直訳すると’死せる自然’です。

18世紀イタリアでの造語で、当時上位のジャンルとされていた歴史画、肖像画が’Nature vivente”生きている自然’と呼ばれていたのに対し静物画を軽視的にこう呼んだそうです。

ピカソ Nature morte à la tête de taureau

彫刻や陶芸品がずらりと並んでいます。ピカソは油絵以外も多岐にわたって作品を作りました。

ずらりと並んだピカソの彫刻や陶芸

ピカソのコレクションからでしょうか。ピカソ本人より寄贈されたものです。

作者匿名: (彫刻) 儀式の髪型「ネヴィンブンバオ」

主に粘土と環太平洋の熱帯地域に生息するパンダヌスとシダの木でつくられたバヌアツ地方の人形です。

バヌアツ地方の粘土人形 ネヴィンブンバオ

地下1階にはちょっとしたライブラリーと読書スペース、化粧室があります。

地下のライブラリー
ライブラリーのテーブルと椅子
大きな壁画

カフェ

1階のエントランスから右手へ、チケットセンターに向かって右にある階段を登ると、2階にテラスカフェがあります。

以前はカフェレストランだったようですがコロナの影響か、今はセルフ自販機での休憩室となっていました。

オテルサレの屋上のカフェ

ルーフトップカフェになっています。

le cafe sur le toit ルーフトップカフェの看板

コーヒーメーカーや自販機から好きなものを購入できます。

カフェにあるエスプレッソマシーンのコーヒー販売機

屋上テラスでほっこり、ひとときを過ごせます。

屋上カフェテラス

テラスからは中庭を見下ろすことが出来ます。

屋上テラスから見下ろした中庭

まとめ

この美術館を落ち着いてみてまわるには1時間〜1時間半は欲しいところです。

また、歴史的建造物「オテル・サレ」の素晴らしい内装と調度品や家具も見どころの一つです。

無垢な少年の頃の作品から、その後の色調と作風の変化から時代の移り変わりやピカソの人生の裏側をうかがい知ることができます。

多くの著名な画家が短命で、その死後に作品を評価されることが多い中、ピカソは91歳まで第一線で活躍し、膨大な作品を創造しつづけました。その芸術に対する情熱とパワーは計り知れません。

女性への情熱がその芸術の歴史でもあり、ピカソの私生活は作風と深く結びつき、女性達がそのパワーの原動力となっていることは間違い有りません。

まだまだ深く知りたい方はこちらで探してみてくださいね。

最後までご覧いただきありがとうございました。

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