
2022年の祇園祭はコロナ渦を乗り越えて、地元の方々の努力により晴れて3年ぶりに山鉾巡行が復活し、週末三連休にあたったこともあり、多くの人でにぎわいました。
京都出身で東京に就職している鉾町のお友達も祇園祭のために半年前からお囃子の練習などの準備を始めるため帰省すると言っているくらいに、京都人にとって魂とも言える大切なお祭りです。
Ettyyも里帰りの際に久々に雰囲気を味わうことが出来ました。祇園祭のお囃子は小さい頃からとって身近なもので、これを聞くと夏の到来を感じてワクワクと心が踊ります。
目次
祇園祭
「葵祭」「時代祭」と並んで京都三大祭の一つです。祇園祭は7月1日より1ヶ月に渡り行われ、宵山や山鉾巡行には全国から沢山の人が集まる華々しいお祭りです。
- 祇園祭
- 祇園祭祇園祭の由来と歴史
- 祇園祭の見どころ
- 曳き初め
- 前祭・宵山(さきまつり・よいやま)
- 長刀鉾
- 月鉾
- 四条傘鉾
- 菊水鉾
- 函谷鉾
- 放下鉾
- 綾傘鉾
- 鶏鉾
- 芦刈山
- 山鉾巡行(前祭)
- 山鉾巡行ルート
- 辻回し
- 後祭・宵山(あとまつり・よいやま)
- 大船鉾
- 鷹山
- 北観音山
- 南観音山
- 橋弁慶山
- 鯉山
- 浄妙山
- 黒主山
- 役行者山
- 八幡山
- 山鉾巡行(後祭)
- 花傘巡行
- 祇園祭のちまき
宵山(前日祭)には露店が立ち並び、23時近くまで賑わっていました。
久々に京都の街に活気が溢れました。

祇園祭の由来と歴史
由来は平安時代前期まで遡ります。869(貞観11)年、御霊信仰の時代、京で疫病が流行し、命を落とす人も沢山いたそうです。
当時は御霊信仰の時代でしたので、御霊の怒りに触れたためと恐れられました。
その御霊を鎮めるため当時の国の数にちなんだ66本の鉾を立て、洛中の男児が祇園社現八坂神社の神輿を神泉苑(中京区)に奉納し疫病退散のための「御霊会」を行ったのが始まりとされています。
応仁の乱(1467~77年)でも、山鉾巡行は一旦途絶えましたが、1500(明応9)年に町衆の手で再興されました。 武器であった矛も町ごとに競い合うように装飾され、その頃発展していた西陣織の他、交易で得られた中国やペルシャ、ベルギーなどのきらびやかで美しい織物を、各山鉾に飾るようになったそうです。
江戸時代も大きな火災に見舞われましたが、町衆の力によって祭りの伝統は現代まで守られています。
元々疫病を払うために始まった儀式ですが、コロナ渦に中止されていた慣例行事が3年ぶりに無事再開されたことは、深い歴史と因縁を感じます。
祇園祭の見どころ
曳き初め
例年12日の「曳き初め」は、組み立てられたばかりの山鉾を本番さながらに動かします。女性を含む一般市民も参加できることが多いです。函谷鉾・鶏鉾・月鉾・菊水鉾・長刀鉾が曳かれます。
16日の宵山まで、各山鉾町ではちょうちんの明かりに照らされた山や鉾が楽しめます。
前祭・宵山(さきまつり・よいやま)
巡行の前日を宵山、前々日を宵々山と呼びます。(前々々日は宵々々山)
日が暮れると、提灯に明かりが灯り、祇園囃子が流れるなか、山や鉾を鑑賞できます。
宵山には露店なども立ち並び、最も賑わいます。
町会所には山鉾の御神体(人形)や懸装品(織物など)が飾られ、子どもたちがわらべ唄を歌いながらお守りを販売しています。
※例年ですと鉾にあがって見学できたり鉾町自慢の歴史ある品々を鑑賞することが出来たのですがコロナ渦の影響で一般の入場は制限されていたり招待客のみであったりするところもあります。

山鉾(やまほこ)
山鉾巡行は本来、神幸祭に先立つ「露払い」の位置づけで「 前祭」(さきまつり)と還幸祭の「後祭」(あとまつり)があります。
山と鉾は前祭、後祭あわせて全部で34基あります。前祭の山鉾は7月17日、後祭の山鉾は24日に京都の街を巡行します。
Ettyyが子供の頃は前祭と後祭の合同巡行が続いていました。当時はこの形が普通だと思っていましたが、高度成長時代ノ1966年に、交通渋滞や観光促進を理由に省略されてしまっていたようです。
2014年、祭り本来の形を取り戻そうと分離が決定されました。約半世紀ぶりに後祭の山鉾巡行が復活しました。
「京都祇園祭の山鉾行事」は2009年にユネスコ無形文化遺産にも登録されています。

それぞれの山鉾を巡り、美しい刺しゅうや舶来の織物など山や鉾の懸装品と呼ばれる歴史的な装飾品を鑑賞するのも一興です。
山鉾の一部をご紹介します。山鉾巡行の順番は一部をのぞき、くじ引きによって決められます。
◆長刀鉾(なぎなたほこ)
鉾頭に疫病邪悪をはらうとされる大長刀いただく長刀鉾。お稚児さんが乗る唯一の鉾として知られ、「くじ取らず」の鉾として必ず先頭を巡行します。

◆月鉾(つきほこ)
装飾が細部にいたるまで素晴らしく、鉾頭に新月型(みかづき)をつけているので「月鉾」と呼ばれ、山鉾の中で最も背が高く重量も12トン越える最も重い鉾。夜と水徳の神月読尊(つくよみのみこと)が祀られています。
円山応挙による屋根裏絵をはじめ、金具類は山鉾最高峰の品、インド絨毯、トルコ絨毯は雅な美しさで、「動く美術館」と呼ばれるのも納得です。

◆四条傘鉾(しじょうかさほこ)
なんと応仁の乱以前の古い山鉾の形態を持つそうです。長く途絶えていましたが1985年に114年の時を経て再興された鉾です。傘の上に赤幣と若松が飾られているのが特徴でこの傘の下に入ると厄除けのご利益があるとか。

◆菊水鉾(きくすいほこ)
菊水鉾の名は町内の井戸に由来。ひときわ特徴的な唐破風(からはふ)造りと言われる頭部に丸みをつけて造形された大屋根はあまりにも豪華絢爛で目を奪われます。

◆函谷鉾(かんこほこ)
長刀鉾に次ぎ巡行するくじ取らずの鉾。古来中国で斉の孟嘗君(もうしょうくん)が函谷関(かんこくかん)で家来に鶏の鳴き真似をさせて難を逃れた史話が名前の由来です。

◆放下鉾(ほうかほこ)
街角で芸をしながら説法を説いた放下僧の像を祀ります。提灯は逆さミッキーに見える提灯のシンボルは日・月・星の三光を表しています。

◆綾傘鉾(あやがさほこ)
山鉾の非常に古い形態を残している傘鉾の一つ。傘についている、人間国宝森口華弘による友禅「四季の花」と町在有志寄贈による「飛天の図」が見られます。

◆鶏鉾(にわとりほこ)
名の由来は中国・尭(ぎょう)の時代は天下が良く治まり、訴訟の太鼓も鶏が巣を作る程用無しとなったという史話「諫鼓」(かんこ)に由来しているそうです。とっても豪華な山鉾です。後ろの懸装品は16世紀にベルギーで制作されたもので国の重要文化財に指定されています。
女性でも快く山鉾の上に登らせてもらえます。
※2022年度はコロナ感染予防対策のため招待客のみの入場。

◆芦刈山(あしかりやま)
妻と離れて難波の浦で芦を刈る老翁が妻との再会を果たす謡曲「芦刈」に基づく。会所では夫婦和合、縁結びなどの木札が授与されます。

山鉾巡行(前祭)
御池通りに設置される有料観覧席なら、山鉾の豪華な装飾を着席してじっくり見学できますが、何しろ夏の暑い最中、正面から太陽が照りつけるので灼熱であることは覚悟しておかなければいけません。
祇園祭は梅雨が明けきらない頃から始まり、京都の一番蒸し暑い時期に開催されます。通り雨で鉾町の方が慌てて鉾に雨よけをかける姿もよく見かけます。
山鉾巡行の当日は、というとカンカンに晴れて暑いことが多いのです。
山鉾巡行ルート
鉾巡行の順番はくじ取り式で決められますが長刀鉾はくじ取らずで先頭を巡行します。
前祭の山鉾巡行は17日、9時から四条通→河原町通→御池通→新町御池の順で京都を反時計回りに巡行します。
計23基の山鉾が四条烏丸付近を出発。四条通を東へ向かった後、河原町通を北上し、御池通を西へ向かいます。 四条麩屋町での長刀鉾の稚児によ「注連縄切り」(しめなわきり)や、山鉾が各交差点で方向を変える豪快な「辻回し」(つじまわし)は圧巻です。
後祭の山鉾巡行は24日、9時半から、前祭りとは逆向きの烏丸御池→河原町御池→四条河原町→四条烏丸の順に時計回りで、山鉾巡行が行われます。
巡行当日、疫病や邪気を払う長刀を戴いた、長刀鉾はくじ取らずで常に先頭を行きます。お稚児さんが2人のお付きの男の子である、禿(かむろ)を従えて鉾に乗っています。

四条通の信号機は山鉾巡行のため折りたたみができるようになっています。最大高さ25メートルある鉾が通れるようにするためです。いかに祇園祭が大切にされ、街に根ざしているのかが伺えますね。
次々と鉾の巡行が続きます。
辻回し(つじまわし)
辻回しは河原町四条、河原町御池、新町御池と行われますが室町四条から先の東側は河原町に向かって人出が多すぎて進めませんでした。後から行くと観るのは難しいかもしれません。オススメは道の広い河原町御池角か、山鉾が帰ってくるところを落ち着いて観られる新町通りは穴場です。

ここからは河原町御池角の辻回しです。
車の下に青竹を敷き詰めて、細かく調整していきます。

山鉾の重さは10トン越えとも言われていますし、さらにあれだけの人数が乗っていますからね。
音頭取りが、掛け声や扇で合図しています。ここからが力の見せ所。スマートににテンポよく方向転換を目指します。

前準備にはかなり手間取っていたようでしたが無事綺麗に方向転換出来ました!観衆から拍手が巻き起こりました。
準備の待ち時間は10分程でしょうか、なかなか手間取っていて暑い中、とても長く感じました。廻転はほんの2,3秒の出来事で、一番の見せ場は無事成功でした。

後祭・宵山(あとまつり・よいやま)
後祭の宵山では露店の出店はありませんが、明かりの灯った駒形提灯を眺めながら鉾町を練り歩くと本来のお祭り情緒を堪能することが出来ます。

◇大船鉾(おおふねほこ)
前祭の山鉾巡行の翌日から、大船山の鉾建てが始まります。
大船山は幕末に焼失し、平成26年に150年ぶりに後祭巡行に復帰しました。くじ取らずの鉾で最後尾を飾ります。

◇鷹山(たかやま)
再興されたばかり、白木が真新しい鷹山です。応仁の乱以前よりの歴史を持つ、くじ取らずの大きな曳山だったそうです。度重なる厄災に遭いながら復興し、関係者の感動もひとしおでしょう。

◇北観音山(きたかんのんやま)
1353年創建。ひときわ目立つ大きな北観音山は、毎年後祭の先頭に立ち、上り観音とも称されます。古来から町内は有力な文化人や豪商が多いそうで装飾品は豪華なものが多いです。

◇南観音山(みなみかんのんやま)
華厳経の説話より、北観音山の「上がり観音」に対し「下り観音山」と呼ばれ、くじ取らずの曳山です。

◇橋弁慶山(はしべんけいやま)
牛若丸と弁慶が五条大橋の上での決戦の様子を表しているそうです。舁山(かくやま)[人が担いでまわる山]では唯一のくじ取らずで一番目の巡行です。

橋弁慶山の前からして強そうです。心身剛健、力縄のお守りが授与してもらえます。
※2022年は残念ながら、ちまきのみの販売。

◇鯉山(こいやま)
龍門という激流の滝を登りきった鯉は龍になれるという中国の「登龍門」の故事にちなんだ山です。
ギリシャ神話をモチーフに16世紀に作られたベルギー製のタペストリーは重要文化財にも指定されています。

◇浄妙山(じょうみょうやま)
平家物語宇治川の合戦より、一来(いちらい)法師が三井寺の僧兵浄妙の頭上を飛び越して先陣とった場面を表現した山です。

◇黒主山(くろぬしやま)
謡曲「志賀」に基づき大友黒主が志賀の桜を仰ぎ見る様子を表した山。
巡行当日、山を飾る桜の造花は魔除けになるといわれ、翌年のちまきに添えられて授けてもらえます。

◇役行者山(えんのぎょうじゃやま)
古くから伝わる密教の修験道(山岳修行)を主題にした山。

◇八幡山(はちまんやま)
町内に祀られている八幡宮を山の上に勸請しています。シンボルの二羽の白鳩にちなんだ限定グッズが可愛らしく人気です。


町会所のお庭に祀られている八幡宮にお参りさせていただきました。

山鉾巡行(後祭)
後祭の巡行は計11基が烏丸御池を出発し、 前祭とは逆向きのコースを進みます。前祭とは逆向きである辻回しや196年ぶりに本格復帰した鷹山など見どころいっぱいです。10年以上前から準備されていたと聞きましたが鉾町の方々の情熱と努力に敬意を表します。
花傘巡行(はながさじゅんこう)
後祭を彩りしめくくる花傘巡行。祇園五花街の綺麗どころや獅子舞、鷺踊(さぎおどり)や子供神輿など、総勢1000人の行列も、2022年は残念ながら中止となってしまいました。来年に期待したいと思います。
祇園祭のちまき
祇園祭の「ちまき」は食べるちまきではありません。厄除けのお守りで、京都の北区の深泥が池の界隈の農家さんが、毎年、わらを笹の葉でくるみ、その葉にイ草を巻き付けて作られます。その後山鉾町で仕上げられます。
ちまきが厄除けの役割を担っているのは、八坂神社の祭神・スサノオノミコトが旅の途中でもてなしてくれた蘇民将来に対し、 お礼として「子孫に疫病を免れさせる」と約束し、その印として「茅の輪」(ちのわ)を付けさせたのが始まりと言われています。

鉾町の町家、お宅拝見。八幡山の同級生のお家にお邪魔しました。お母様が琴のお師匠さんですので十七弦が飾られていました。

引き算の美しさと言いますか、こういった生花や和の風景を眺めていると心が落ち着きます。
近年この辺りの町家はマンションやホテルに建て変わってしまったところが多く残念ですが、ぜひこういった貴重で歴史的な家屋を残すべく自治体も合わせて努めて行ってほしいです。(修繕と維持費は相当かかるようです。)


結びに
八幡山の同級生にいただいた、ちまきをさっそく玄関扉に吊るしました。
宵山の午前中にはもう売り切れてしまう程の人気なので、とっておいてくれたものです。
八幡山のちまきのご利益はおもに夜泣き防止と夫婦円満とのこと。ちまきには鉾町それぞれの厄除け、ご利益があります。
翌年の祇園祭で新しいちまきと取り替えるまで1年間の効力です。
山鉾の歴史をひもとくと、大火などの厄災で何度も焼失しながらも、世代を超えて積み重ねた人々の努力で再興を遂げています。
祇園祭は京都人にとって特別なもの、力を合わせて困難に打ち勝つためのパワーを得られるもの、自分の原点をあらためて感じられるものです。
日常生活へ戻っても、明日への活力をもらえるものなのだと感じました。
また来年、ちまきをお返ししに、里帰りできたら幸せだなと思います。
最後までご覧いただきありがとうございました。